公式HP![]() (更新2001年9月10日)
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| 平成十三年九月二日、午前一時四十分、心不全の為東京都内順天堂大学病院で75歳の生涯に幕を下ろしました。しかし、木部佳昭の伊豆に対する思い、国に対する思いは変りません。 以下、静岡新聞の記事を引用させていただきます。尚、本葬は、自民党葬として、10月6日伊東市観光会館にて行われます。 |
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| 木部佳昭事務所 | |||||
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| 平成十三年九月四日:静岡新聞 「モクベエさん」。人々は親しみを込めてこう呼んだ。おごらず、高ぶらずいつも人々の目線で語り、怒り、苦悩した政治家だった。▼元建設相、木部佳昭さんの死を惜しむ人々の談話はそれなりに本音が出ていた。同じ選挙区のライバルだった栗原裕幸元防衛庁長官の「長い間戦ってきた”戦友”だった」の言葉に新鮮な響きを覚える。お互いを意識し、戦い、その勢いが国政の場の切磋琢磨に昇華されていった▼ジャンケンポン世代――なる言葉で象徴されるように、今の政治家は戦おうとしない。すぐ妥協する。政治は膿み、堕落する。議席、政権は戦い取るものだという政治の哲理を忘れている。その言葉には、今の政治家への教訓が込められている▼天下国家を語る栗原さんに対して、木部さんは徹底して選挙区のことを語った。愚直に地元に尽くした。だが、選挙はいつも苦戦だった。それでも怯まず、ひたむきに政治に生涯をうずめた。根っこは意外にも楽天的気質だったのかもしれない▼ぎりぎりの際どい当選ばかりだった。当選談話を取材しようと探し当てると、旅館のテレビの前で震えていた事もある。その人間くさい一面に魅かれ、みんな応援した。金や名誉より理念、理想の党人派を貫いた。政治腐敗を怒り「政治が卑しくなった」と嘆いた▼党の総務会長時代、役人の天下りのすごさに憤り、特殊法人の解体を叫んだ。エゴと保身に汲々の役人とそれを見逃す政治家を「国を食らう人たちだ」と断じた。重い口は開くと鋭かった。改革の先頭に一度立たせてみたかった。次の総選挙は早そうですね・・・・・ひと月前に電話をもらったばかりだった。その準備もそこそこに逝ってしまった。 |
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| 平成十三年九月三日:静岡新聞 元建設大臣 木部佳昭氏死去 建設大臣などを務めた元衆議院議員(自民党第七選挙区支部長)の木部佳昭(きべ・よしあき)氏が二日午前一時四十分、心不全のため東京都内の病院で死去した。七十五歳。伊東市出身。自宅は伊東市宇佐美2297−1。密葬は四日午後一時半から伊東市吉田1026−2の白寿で。喪主は妻の昌江(まさえ)さん。本葬は未定。 中央大中退。池田内閣の河野一郎農相秘書官を経て昭和38年、衆議院選初当選。平成十二年に落選するまで返り咲きを挟んで十期務めた。昭和五十九年、第二次中曽根内閣で建設大臣、平成二年、第二次海部内閣で北海道・沖縄開発庁長官に就任したほか、五年からは自民党総務会長の重責も担った。 日本・アラブ友好議員連盟会長を務めるアラブ通で、中東外交には一家言を持っていた。中曽根元首相の腹心としても知られ、派閥を継いだ渡辺派では事務総長の任に当たった。 |
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